自己紹介

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夏は登山 冬はテレマークスキー。 歳なので、身体が、そろそろ言う事を聞いてくれなくなりつつ有ります。 でも何とかだましだましやって行こうと思ってます。

2015年11月23日月曜日

山を越えて 晩秋の巻機山

どうも最近は まあいいか~ と投げやり的に自分を甘やかしてばかりいる。夜ランや坂戸山トレーニングもすっかりご無沙汰に成り、脚力は落ちて行くばかり・・・現場のチョッとした坂道でも脚に来るようになった。困ったもんだね。

幾ら遠い冬の足音とは言え、来ない訳ではないし、そろそろ〆のロングを歩いておかないと決まりが付かない。フッと思いついた山歩きに行って来た。巻機山の山越えハイク。駅まで走って清水行きのバスで移動して井戸尾根を登り、牛ヶ岳より裏巻機登山道旧道を降り永松発電所に下山 家まで徒歩で帰って来る山越えコース。

最近ジジイに成ったせいで夜中に必ず尿意を催してトイレに起きる。今朝は3時に目が覚めてトイレに行きそれから眠れなくて寝床でゴロゴロしながら音楽を聞いていた。iPodをシャッフルにして流しっぱなす。ボブディランの 風に吹かれて が流れる。悩み多き人生だけど、答えは風の中に有るのだ。思いのままに歩けばいい。

前夜あれこれ考えて用意して置いた衣服を身に着けて駅に向かって走る。まだ薄暗い。ウインドブレーカーを着なくても良かったかもしれないと、コンビニで食料を調達する時に脱いだ。大きいザックだと走り辛いので、何時ものOSPREYのmanta20を背負って来た。雨具とツェルトを入れたらソフトシェルのジャケットを入れたらパンパン。この時期には汗をかいてはいけない。汗をかく様では着過ぎ。

少し焦ったが何とかバスに間に合った

運動不足が祟り、駅までの距離でさえ脚に疲労感が有る。何とか5分前に駅前のバス停に着いて、なんとか乗れた。バスに揺られながら朝飯代わりのパンを頬張る。25分程揺られて終点一つ前の西谷後で降りて歩きだす。何時も積雪期にスキーで登るルートだ。トボトボ歩いて桜坂まで20分。清水より歩くよりは近い気がする。登山シーズンも終わりに近く、賑わいの百名山も流石に閑散と言う状況か?駐車場もまばら。数人準備して居る。声を掛けて頂いたが、此方は存じ上げません。申し訳ありません。

踏み付け浸食が激しい

この頃は、この山には時計を睨みながら登っていたのだが、今日はのんびりと登って行く。現実的には急ぐに急げない怠け者の身体になった。

山登りを始めてから何度も歩いた道。人気のお山だけ有って道の傷み具合が酷い。昔はこんなに赤土や岩が露出してはいなかった。何処の山でも起きている問題なのだろうが、多くの山登りの人は当事者でも有り第三者でも有る。己の中にも第三者的な見方と当事者としての意識が有りジレンマが渦巻く。そろそろ五合目~七合目の登山道の保護が必要に成って来たのではないか?俺に何が出来る?何も出来ない。ただ憂いているだけか。無力。

のんびりあれこれ考えて登って行く。ゴ~と山が鳴っている。風が強い。物見平の吹きさらしに出ると流石に寒い。薄手のシェルを羽織り手袋を装着。暖かい手袋は忘れて来てしまったので、ザックの底に入っていた作業用のゴム手袋。見っとも無いが格好つけて居られない。
霧が渦巻き景色は見えたり見えなかったり。見えるものに集中せざるを得ない状況。当たり前なのだ。今居る所を見ずして何処を見る。遠くを見て浮気をしている人が多い。

ニセ巻から木道が整備し直されて大変歩き易く成った。避難小屋は既に雪囲いがして有り、避難できない。この時期はそれを認識した上で登って来なければいけない。寒いとか雨や雪に降られたとかでも逃げ場は無い。気安くタクシーの代わりにヘリコプターを呼ぶのが流行っているらしいが・・・。

御機屋までも木道が整備された。有り難い。貴重な草花を踏まなくて済む。
水溜りには薄氷は張っている。
寒い。
既に降りて来る方が居る。「寒いですね」が挨拶の代りに成る。

登り始めて127分。この位のペースだと楽に登れる。100分切りがノルマだと流石に辛い。この日、後から登った番長は90分切ったらしいが・・・。ダイエット成功してから本来のアスリートの本領発揮で絶好調な奴。オイラも薄っぺらな過去の栄光にしがみ付いて行かねばどんどん置いて行かれる。年甲斐も無いのだが、もう少し頑張らねば。

お決まりのスマイルも凍ってました

エビの尻尾も寒さでレンズ内が曇っている 使えないカメラだ


あまりの寒さにメモを取る手がかじかんでおぼつかない。ソフトシェルとフリースの帽子を引っ張り出して着込む。割引岳まで行く気力が失せて、真っ直ぐ牛ヶ岳に向かう。霧の粒が風で吹き付けて来るので体感気温は酷く寒く感じる。このままこんな恰好で稜線に居たらたまらないので、急いで高度を下げるべく、牛ヶ岳まで急ぎ、早々に下山を始める。

緩やかに降りて行く

歩く人が疎らで、水を含んだ地位植物が覆う道は酷く滑る。そろりそろりと坂を下る。勿体ない位に綺麗に刈り払って頂いて有り有り難い。バスの中で食したっ切り腹に何も入れては居なかったので、空腹で有る。寒さでそれにさえ気づ付かなかった。標高を落として、お日様に当たって気が付いた。めぼしい岩に腰を下ろし景色を眺めながらの昼食にする。裏と表では山の造りが違う。険峻な渓谷を見下ろし、たおやかな稜線を見上げる。多くの人は一つの方向から見て知った気に成っている。贅沢な事をしていると気が付く。

有り難く手入れの入った灌木帯の道を降りて行く。木々の葉は落ち切って見通しが効く。足元は落ち葉が敷き詰められてズルリと滑る。落とした葉っぱを養分として木々は大きく成るその連鎖で森は生きて行く。そんな風に生きていけないものか?。独りで歩いているとそんな事を考える事が有るが、大半はお姉ちゃんの事や美味いもの食いたいな~って俗な事な訳だが。

数年来の課題の裏巻機渓谷横断スキー行だが、やはり牛ヶ岳より本谷沢(巻機沢)と東ノ沢の間の斜面を滑り、蛭窪小沢の樹林帯から大兜山に登り返すしかないだろう。裸の木々の間から見える山々を偵察しつつどんどん高度を下げて行く。橅ノ木平の広い尾根を離れ、五葉松の細い尾根を木の根を足掛かりにそろりと進んで行く。沢の音が大きく成る。尾根を離れ足場の悪い急斜面をロープの連続で降りる。渡渉点に着いてホッとして、対岸の高巻きの険しさにうんざりする。

しばしの休息の後、飛び石伝いに対岸に渡るり、急斜面に取り付く。前回、周回登山の時来た後に整備に入って下さったらしく、刈り払いが行われていて随分歩き易くは成ったが、相も変わらず、踏み出すには躊躇する様な岩場のトラバースにはロープのプロテクションが欲しい。その辺の整備が薄いのでやはりここは歩く人を選ぶ道。

嫌らしい高巻きの道もここまで降りてほっとする

急峻なのっぺりした岸壁の下に有る発電用の取入口まで降りて来て緊張がほどける。沢底を眺め、渓谷の不思議な地形を眺め、眼福ご馳走さまですと感謝しつつ岩を穿って付けられた道を気楽に歩いて、発電用水の調整池で一息入れる。

走り易い鉄管路脇の道 嬉々として駆け下りる

天竺の里の舗装道路に引っ張られて降りてしまいそうになるが、思いの外長いと前回で懲りた。おとなしく何時も通りに鉄管路脇の道を駆け下りる。頑張って歩いたご褒美の様な歩き易い道。スタスタと降りて発電所の対岸の道に出る。たまたま携わっている現場が真下に見える。
後は小一時間スタスタと走れば家に帰り着く。

バス移動を含めた行動時間 10:03
徒歩での移動距離       30.8km


2015年11月3日火曜日

高倉山散歩 2015


2週間続けて休みが潰れた。空気は冷たくなり日もめっきりと短くなって、高い所は薄っすらと白く成った。
もう、あまり無理は出来ないので、締めにちょっと長い距離を歩こうと決めていたのに、寝坊してバスに乗り遅れるそうな時間に起きてしまった。大急ぎで出かければ間に合ったかも知れない。でも、何だかやる気がプツリと切れた。
外を覗くと曇りがちだが、青空も見えている。家人の為に、豆炭こたつに火を入れて、のんびりと朝食を取り新聞を眺めている間に日が指してきた。ポカポカ陽気に誘われて、近所の低山に登ることにする。
気楽な散歩なので、気楽な装備をザックに放り込む。最近は持ち運ばなくなった物。一眼レフカメラ ガスバーナー クッカー ドリップコーヒー ダウンジャケット。
日向ぼっこの猫に見送られて、チャリに跨がる。風を切ると寒いので、厚着をして来たら汗をかいた。



約20分程で、高倉山の登山口に着く。道すがらのお寺さんの前の石仏をカメラに収める。石工 太郎兵衛の作。素朴な力強い作品。


登山口は、廃れ果てた別荘地のどんづまり。数年前の大雨の災害復旧工事現場だ。関係者だろうか、2人話し合っている。チャリを漕いでは登れない急坂なので、押し上げながら挨拶をする。築堤された堰堤の左岸を巻いて被災前の道跡に降りて、マーキングに導かれて登山道に入る。




新しい足跡が有るところを見ると、先行者が居るようだ。こんな所にも登りに来る方もいらっしゃる。
首から下げた重いカメラで遅い紅葉を切り撮っていく。ファインダーを覗いてパシャっとシャッターを切る感覚が懐かしい。急な山道をのんびりとカシャカシャやりながらのんびりと登っていく。背中から暖かな陽の光を浴びていると、ゆっくり歩きでも汗をかく。


急登を登り切り、山頂に近づく。先行者が休んで居られる。こんにちは と、挨拶をしてザックを下ろす。グルリと見慣れた山を見回す。ここは穴場的な展望台。山の説明をしながら、湯を沸かしコーヒーを淹れる。日が陰るとやはり寒いので、着込めるだけ着込んで、再び湯を沸かしラーメンを食す。日向ぼっこしながら、山を眺める。思うのはスキーに適した斜面は、そんなに標高の高い所に行かなくても、身近に有るのではないかという事。近所の低山を彷徨い滑るのも有り何では無いかな。
1時間ほどぼんやりしていた。12時のサイレンが鳴る。毎月1日の日にはお昼にサイレンが鳴る。良い頃合いなので、荷を纏めて、お先に失礼します と挨拶をしてスタコラと降りて行く。
とんだ予定変更の低山歩きだったが、のんびり出来て楽しめた。せかせかした事ばかりでは無く、こんな事もリフレッシュ出来て楽しい。

2015年10月18日日曜日

リフト準備作業 2015

当たり前のように、夏が過ぎて秋が来た。時間の過ぎるのが早く感じる。これも其れなりに歳を取ったって事かと肩を落とす。
見慣れた景色 

「リフトの搬器取り付けをします。」 と連絡が来た。大先輩の同僚に連絡して、同乗させて頂き現場に向かう。
晴天の気持ち良い秋の朝。既に同僚は集まってきている。
今回はアルバイトを2人お願いしているらしい。親方が、ツイッターで募集をかけたところ、数人からリプがあったらしい。スノーボードのコミニティーでも広がったらしく、有名なライダーさんからのリツイートが有ったことも、事の信憑性を増したらしい。
簡単な仕事で、日給の他にシーズン券の貸出の特典付きなので、結構おいしい話だ。
お一人は遥々長野からやって来た女性。もう一人はお馴染みのカッピさん。

朝のお茶を飲み、バイトさんの紹介やら近況などボソボソ話して仕事に掛かる。大先輩方がいらっしゃるので、作業自体はスムーズに進む。
ポカポカ陽気で仕事もはかどる。
養生シートを剥がして、パーツを取り付けながら、ワイヤーに搬器を取り付けていく。
お手伝いのお二人は、またとない体験です。
普段利用しているリフトの取り付け、構造などなかなか見たり体験したりはできない。

ぽかぽか陽気で作業もはかどる

搬器数43しかないコンパクトなリフトなので、昼前には取り付け作業はあらかた片付く。
片付け作業をしながら、ワイヤーの太さの測定やらブレーキテストを行う。その後、1つ30㎏のウエイトを60個程、他社の倉庫より借りて来て、4個づつ搬器に乗せて15基に大人2名乗車の状態を作りだしてのブレーキテスト。終点の機器のテスト、支柱可動部のグリスアップなどをやって準備作業は終了。
男共が力仕事をしている間に、女子さんには汚れきったキッチンスペースのお掃除をお願いした。
隅から隅まで綺麗にして頂いた。
仕事を見れば人柄がわかる。いつまで綺麗な状態で居れるやら・・・。

夏の仕事は降雪とともに解雇になる。雪が降り、スキー場の営業が開始されれば、リフトのおじさんに成る。
自分が滑るのも楽しいが、お客さんに楽しいひと時を提供する仕事も遣り甲斐が有る仕事。

イイジスライダーを眺めて・・・

2015年10月7日水曜日

ドッペル改造。駆動系


ドッペルギャンガー530の更なる高速化の為にリアスプロケットを交換する事にした。
ノーマルはシマノのMF-TZ21(14-16-18-20-24-28T)なのだが、ロー側の14Tをもっと少ないギアにしてギア比を変えてもっと踏めば進むチャリにしたい訳だ。前回のチェーンホイールの52Tから60T変換により、ロー側のギア比は60Tの14Tでは4.28で20インチの一般的なタイヤサイズでは、クランク一回転で6.81m進む計算。
今回は、ローが11Tのスプロケットを探したのだが、選択肢はほぼ無くて、DNP LY-1107 KFNしかない。品質から言えばシマノのMF-HG 50-7なのだが、生産を終了してしまい、オークションとかで結構高値が付いている。そんなに金は掛けたくないので、MF-HG 50-7の互換パーツであるDNP LY-1107 KFNを購入。
如何にも安っぽいメッキのピカピカ光る有りさまに不安がよぎる。


右がシマノMF-TZ21 左が今回インストールするDNP LY-1107 KFN(11-13-15-18-21-24-28T)もう見た感じで、工業製品としてのシマノの優秀さが見て取れるが、買っちゃったもんは仕方が無い。貧乏ミニべロ乗りのお決まりの交換作業らしいから、ネット上にあれこれと情報が載っている。

まず、この製品はノーマルパーツより若干厚みが有る。これもあらかじめ集めた情報で周知して居る。このまま取り付けても、チェーンが、飛び出しているリアディレイラーの取り付けネジに干渉して回ってくれない。

干渉して回らない

この対処方法もネットに情報が沢山あるので、予めM5のワッシャーを噛ませて取り付けネジを飛び出している分の厚みを相殺させて、クリアランスをとる。

M5のワッシャーを噛ませて飛び出しを相殺

ここまでの作業時間はほんの10数分だったが、ギアの間隔の変化を調節しようと、変速機を調整を始めたら、何故か泥沼にはまり、トップに入らなくなったり、テンションまでおかしく成り、5速6速の間でチェーンが飛んで、シフトが奇麗に決まってくれなくなる。
そこから、1時間半もトライ&エラーを繰り返して、やっとこ正常な状態に戻した。

交換しての感想だが、やはり効果絶大で大満足。
60Tの11Tでギア比は5.45。一漕ぎで8.67m進む計算。勿論その分重いギアに成って仕舞ったが、スピードに乗っての巡航速度は確実に上がった。実に快調である。その一因として、ディレイラーの調整がうまくはまった事が有る。いじる前より変速のレスポンスが良く成り。カチカチと小気味良くチェンジできる。
パーツとしての耐久性はどれ程か分からないが、暫くは快適に乗れそう。
駆動系のカスタマイズはひとまず終了。次はハンドル回りの変更か、効きの良いブレーキのインストールか・・・。ぼちぼちいきます。安いパーツを探します。



2015年10月4日日曜日

第2回苗場山麓ジオパーク津南ネイチャーランを走って来た  個人的人体実験の巻


今年は春から全く走る気が起きずに、言い訳を探して 夜ラン 朝ラン 全く走らなかった。
全くレースにはエントリーしておらず、何時もなら冬と比べると5~6kg落ちる体重も落ちる気配なく、70kg前半をキープしている。
それがなぜか、昨年参加して、そのキツさに「もう二度と出ないぞ!」と言い放ったレースに急に参加する積りに成った。昨年はエントリーしておきながら、ひざ痛の為に走らなかった番長が早々とエントリーして、躊躇して居たオイラも、締め切り間際に成って勢いでランネットのエントリー受付をポチリとやってしまった。

今年で開催第2回目の「苗場山麓ジオパーク津南ネイチャーラン」である。
河岸段丘の地形を上手く利用したコースレイアウトで、登って降って未舗装のトレイルも有ったりして、なかなか変化に富んだ厳しいレースで、今年からフル ハーフに加え70kmのウルトラのカテゴリーも新設された。
二人で山歩きをしていた時の与太話でウルトラに出てみよう!なんて勢いで言っていたが、いざ参加を決意する段に成ると、エントリーフィーの8000円が惜しくて、無難にフルマラソンのカテゴリーに落ち着いた。

一応、カレンダーにはカウントダウン的に大会まで あと何日 とか書き込んでみたものの、生来の怠け癖が顔を出し、前記の通りに言い訳を作り出しては走らない日々が続いた。それならいっそ「何も練習をしなくてどれだけ走れるか」という壮大な人体実験をやろうと決意した次第であります。

何時もの様に番長に迎えに来て貰い、これまた何時もの様に牛丼をかき込んで会場に向かう。余裕が欲しいのでスタート2時間前には現地到着。既に ウルトラ のカテゴリーの参加者はスタートしている。開会式も無い様なので、到着後すぐに受付を済ませる。参加賞のTシャツとゼッケン 計測チップ 名簿を受け取る。オイラの出るフルの参加者は70名弱と寂しい限り。会場の立地条件が悪いのか?、まだ開催2回目で大会の存在自体が周知されて居ないのか?、たまたま有名な大会と被っちゃっているのか?運営しているスポーツエイド・ジャパンは素晴らしい大会運営で有名なだけに残念である。

天気は、今にも降り出しそうな肌寒い感じで、長袖で行くか半袖で行くか悩む所だが、雨に降られると長袖だと袖が重たく成って不快に成るので、半袖Tシャツで行く事に。ふと番長を見ると、全く同じシャツで、まさかのペアルックである。

スタート前の時間はあっと言う間に過ぎるもので、うろうろしていたら何時の間にスタート時間に成っていた。説明を聞いてスタートラインに移動。どう言う訳か最前列に並んでしまい、そのままスタート。「ダイエット目的で」と本人は言っているが、日々練習を積んで来た番長は、潜在能力を見せ付けピュ~と行ってしまい、あっと言う間に視界から消えた。最初から頑張りすぎても潰れるのは目に見えているので、オイラは抑えたペースで行く。

ホテルの広大な敷地を周回するコースを回ってコテージ村からトレイルのコースに入る。そこをしばらく走って、そこからこのコースの目玉の標高差500mの天空農地と呼ばれるアップヒルダウンヒル区間に入る。登るに従って霧が濃く成り視界20m程の坂道を黙々と走る。坂道は得意なので自然と足が前に出るので、スタート直後から前方を走っていた女性ランナーと若い男性二人を抜き去る。昨年もここを走っているので、だいたいの距離感で後どれくらいって事は分かるけど、初参加の方は、何処までも続く先の見えない坂に戸惑うだろう。
結構登り、そろそろかな~と思っていたら、トップ集団の方が居り返して来た。オイラの前を走っているのは番長なので、人数を数えたところ、折り返し時点で6位に付けている。参加者が少ないので、オイラでもこの順位でいけてる。

登りは良い良い下りは怖い
やはり苦手な下りで脚に違和感が起きる。まだ4分の1位しか走って居ないのに先が思いやられる。
今年は昨年とコースのレイアウトが変わっている。坂を下り切ってトレイルを走り、河岸段丘の段丘崖に付けられた道を下り大場集落に入る。地元にもまだ定着して居ないのか、地元民の応援は無しだが、人の気配に驚いたワンコが盛大に吠えて応援してくれる。ここはワンコの村と呼ぼうw。

この大会は、エイドが充実している。お蕎麦が有ったり、おにぎり フルーツ 熱々の汁物まである。エイドの方もフレンドリーで楽しい。今回は、肌寒い陽気で、飲み物は身体が欲しなかったが、サンドイッチやら、バナナなどを美味しく頂いた。

ここは ネイチャーラウンド と呼ばれる地区で、河岸段丘を大谷地ダムまで登り返して、ホテル敷地内のスタートゴール地点を通過して周回するコース。フルの選手は2周 ウルトラの選手は4周する周回コース。ただ、フルのコースは続けて2周する訳では無くて(昨年は続けて2周したのだが)、スタートゴール地点からしばらく進んだエイドの地点から別の道に誘導され、反対側の段丘崖を太田新田集落まで降りて(黄金のみち)再び登り返してから、再度ネイチャーラウンドのコースを周回してゴールへ向かうコース。

普段の練習不足で、黄金のみちの登り返しで脚が終わった。慌ててshotzを摂取するが、そんなにすぐには効いてくれない。擦れ違う後続の選手と挨拶を交わし元気を貰うが、我慢の登りが続く。暫らくのタイムラグがあり、効いて来たらウソみたいに脚が動く様に成る。

登っているか降っているかしかないコースの中で、唯一元気に走れるのが土の感触を感じながら走れるトレイル区間。周回中のウルトラランナーたちを尊敬の眼差しで抜かせて頂きながら先へ進む。もう脚が棒の様に成って来て、いろんな筋肉が悲鳴を上げる。
再び ワンコの村 を抜けて、エイドで 「うどんでも食べて行って」と呼びとめられる。止まると動けなくなりそうだからコーラとバナナを頂き走り出す。後ろから猛烈な勢いで追いかけて来た2人に抜かれ、置いて行かれる。とても付いて行けない。何故あんなに軽やかに降って行けるのか羨望の眼差しで見送るしかない。

脚が痙攣をし始め、いよいよ脚が終わって仕舞った。頑張ればまだサブ4を達成できそうだが、無いものは無いので仕方ない。それでも、大谷地ダムへの最後の登りは頑張った。坂道で歩くのはプライドが許さねぇ~。先程軽やかに抜いて行った方を再度抜き返して登り切る。もうこれで満足。もうこれっぽっちも残っちゃいない。ゴールまで後2km程。少しの下りでさえ歯を食いしばる始末。また数人に抜かれる。もう順位もタイムも関係無い。この苦痛は練習をさぼって来た罰だ。

ゴールまで後数百m。番長から「ラスト~」の声が掛かる。分かっちゃ居るんだよ。でももう脚が動かないんだよ~。脇を女性ランナーが抜いて行く。さすがに癪に障るので追い掛けては見るものの、差はどんどん開く。50mほど差を開けられてゴールに走り込んでお終い。

まあ、「練習せずにどれだけ走れるか」との実験の結果は、走り切れるが、「それはかなり辛い」との結果が出ました。

ちゃんと練習していた番長は、初マラソンなのに サブ4 を余裕で達成で3位入賞です。さすがに 元 アスリート、持っているものが違いすぎます。

もうこの歳に成ると落ちて行くばかりで、それをどの程度の落ち幅に止めて置くかに成る。自分よりはるかに年配の方が良いタイムを出していらっしゃるのは、もともとお持ちだった高いポテンシャルを、加齢による落ち込みを、日々の努力により食い止めているのかな~。
でもオイラには、それ程のモチベーションは無いかな?。

結果 カテゴリー 男子45~54歳 5位
    総合順位  13位
    記録 4:09:36



2015年9月27日日曜日

ちょっくら飯士山へ偵察に。

サボったつけは必ず回って来る。
先週の頑張りが脚に溜まってなかなか抜けなかった。昨年までは、衰えを日々のささやかなトレーニングで食い止めて居たけど、怠けものに成っちまったおかげで、誤魔化しきれなくなった。身体は正直者である。
来週は、今年唯一エントリーして居るレースに出る事に成っている。かなり坂を登って下ってのフルマラソン。全く走って居ないのだが、番長も早々にエントリーしたので、何となく軽い気持ちで今年も出る事にした。昨年は、走り終えた後は 二度とこんなキツイレースには出ないぞ と、言っていたはずなのにね。おかしなもんだ。すぐ忘れる。
そんな訳で、疲労が残らない程度の山歩き。
思いついたのは 飯士山。イイジスライダーである。


チャリンコを漕いで登山口に向かう。五十嵐登山口だ。ここは、多くの登山地図にはルートとしては表記はされていない。
廃業して久しいファースト石打スキー場に向かう。鎖で規制されている道路を登って行く。普段頑張って自転車に乗っていないので、坂道はキツイ。時おりポツポツと雨が当たるが、すでに汗で濡れているからそれ程気にはならないが、気分は宜しくない。
クルクルと軽いギヤを踏んでいる。あともう少しの所で心がポッキリといってしまい、降りて押して登る。
杉林の中に入り込んで行く道が有る。飯士山登山口 山頂まで2時間 との標識が有る。チャリンコモードから登山モードに切り替えて登り始める。餅は餅屋。山歩きは楽チンである。

杉林の良く踏まれた道を登って行く。しばらく行くと分岐点に成る。負欠岩コースと尾根コース。以前来た時と同じく負欠岩コースを登り尾根コースを降りてくる予定。


良く踏まれて明瞭な道だが、手入れはされている感じは無い。元気な草が伸びて、露で身体はすぐにずぶ濡れに成った。灌木が横に枝を伸ばしている。そこを潜る様に進むと、沢状の滑り易い岩を登る様に成る。きのこの群落を見つけたが興味がないのでスルーする。


頭上の邪魔な枝が無くなり、岩場にでる。イイジスライダーである。数年前にここを滑った。冬季の職場から日々観察している斜面。ベストなタイミングは何時なのか観察して決心が付く前に斜面にクラックが入り始める。その時は、既にクラックが入り、その上に再度積った後に斜面に入った。悪い雪質と隠れたクラックに足を取られて、敗北感と共に降りて来た。今度は良い時期に行きたいもんだ。




濡れたスラブ状の岩場は滑り易く登り辛い。負欠岩(笈掛岩と書かれた書物も有ることからオイカケイワと読むのだろう)を眺めまわして険しい道を登って行く。浸食の具合でこの岩だけがにょきっと突出している。良く見ると古いリングボルトや新しいプロテクションが打ち込んであるので、物好きな岳人がクライミングの練習に使って居た様だ。基部には○○行者と彫られた石塔も有る事だから、山岳信仰の道でも有ったのか?。前記の笈掛岩の笈とは修験者が仏具や衣類などを入れて背負う箱であるから、本来は笈掛岩が正しいのかな?。


死火山であるこの山の岩部が露出した岩場をロープを頼りに登る。この道は実に一般的では無い。不慣れな者は手こずる道だろう。
上り詰めると、西峰だ。イイジスライダーのドロップインポイント。尾根コースとの分岐にも成っている。何だか優しい顔つきのお不動さんが安置されている。オイラも賽銭を納めて何か良い事が有りますようにと都合の良いお願いをしてみる。


少し下って急登を登り切ると山頂。あいにく雲の中で景色は見えない。湯沢町で開催されているマラソン大会のアナウンスが聞える。標高1112mで三等三角点が有る。全身びしょ濡れはこの時期は辛い。さっさと腹ごしらえをして下山する。西峰まで引き返して尾根コースを降りる。こちらも登りに引けを取らない険しい道だ。ひょいひょいと降りられる道では無い。ロープを頼ったり、草木を掴んだりしながら慎重に降りる。


斜度が緩んで若いブナの林を行く。やけに細い木が多いと思っていたら、炭焼き窯跡の標識を見つけて納得する。木を切り炭を焼きその跡に生えた木だからまだ若い木なのだ。


小さな沢を渡り尾根を越えて分岐点に出る。途中で拾って来た山栗を握りしめて杉林の中を駆け下り舗装路に出てお終い。チャリンコモードに切り替えてピュ~と下って行く。

チャリンコ移動距離 往復48㎞
山への滞在時間 約3時間





2015年9月20日日曜日

確認作業 - 越後三山縦走 反時計回り二回目 

別に番長が悪い訳ではない。あの日はオイラも精一杯だったのだと言い利かすが、納得できないものが胸をもやもやさせた。ベストな状態で今の自分の力を見たい。ただそれだけの山行。お天気なんてどうでも良い。景色なんて見えなくても良い。

天気予報を見ると、朝方に傘マークが有る。早く目覚めた寝床の中で天気予報を見る。雨雲レーダーには目立った雲は無いので、予定の通りに出発する。車庫からチャリを引っ張り出すと霧雨が降っている。気温も低いので、合羽を羽織り漕ぎだす。
30分のウオーミングアップでスタート ゴールの八海山大倉登山口に着く。身支度を整えてヘッドランプの灯りを頼りに先々週と同じく歩きだす。チャリン ぱんぱん これも同じ 道中の安全祈願。

先日より30分早く出た。目覚めが早かった割には身体が動く。今日は後ろに誰も居ないので、心細く朝露を払いながら進んで行く。
早く出たのでなかなか明るく成らない、かなり高度を上げた。東の空に明るい星が見えた。明けの明星。雨の予報なのにこりゃ良い塩梅。黙々と歩いていたら、あっと言う間大通りに出た。まだ灯りは手放せない。丸い視界の中をずんずん走って行く。女人堂でようやく灯りを消した。霧が立ち込めて目の前の道しか見えない。仕方ないのでずんずん歩くしかない。


千本檜小屋の前で大きな荷物を担いでいる人が居る。「縦走ですか?」と問うと「その積りだったけど、この天気じゃ・・・。取りあえず、入道岳まで行ってみます・・・」とのこと。「お宅はどちらまで?」と返されたので「三山ワンデイです。」と答えたら、元気だね~と褒められる。

限られた視界の中から岩峰が姿を現す。しっとり濡れた岩も鎖も滑り易く成っているので、何時もより慎重に行く。風が吹いて寒いので、ずーと合羽を着込んだまま。
鎖場の緊張が解けると、空が明るく成り始め、一気に霧が晴れて、勿体ぶっていた景色が顔を出す。振り返った岩峰もみごとに見えた。
そんな演出も直ぐに終わり、再び雲の中。まったくケチである。



慣れた道でもこんな日は方向感覚や距離感が鈍って、頭の中がこんがらがる。一本道なので、五竜岳で阿寺山の方向にさえ迷い込まなきゃそれで良い。滑り易い道をバランスを取りながら、スタコラと駆け下りる。
乾いて居れば何でも無い岩場が、ぐっと難易度が上がる。足を滑らせれば はい、さよーなら~ である。足元を睨みつけて、切れ落ちた谷底は見ない様に行く。

そう言えば、先日見たテレビで、 一筆書きの人 がこのコースを歩いていた。入道岳~中ノ岳を2時間半(だったっけ?)で歩いていた。見えない人の背中を追っても仕方ないが、負けん気が足を速めさせる。オカメノゾキを過ぎ急に脚が重く成る。急いでいるうちに補給を忘れた。
もう少しで祓川だから、そこで・・・と動かない脚を騙し騙し登って行く。



じっとしていると寒い位の陽気なので、水をそれ程飲まなくて、背負った水袋の容量はさほど減っていない。今回はオアシスでの水の補充はいらない。それより人間のパワーの補充をせねば成らぬ。
速効性のジェルとシリアルバーを口に入れて味気ない補充完了。よっこらしょと思い腰を上げて最後の詰めのガラガラ岩を登る。

中ノ岳の山頂には誰も居ないと思ったらかなり年配の方が登って来た。「十字峡から4時間掛かった。大変な道だね~。」とおっしゃっていた。失礼だが、年齢を考えると大したもんである。良い若いもんでも4時間以上掛かる方はざらである。見えない山を指示し近隣の山の紹介ルートの説明をして来た。「越後の山は厳しいですが、良い山が多いですな~」。そうでしょうそうでしょうと他の山域を良く知らない蛙は、褒められて満足する。
「先を急ぎます」と御暇して、駒が岳に足を向ける。



連休の初日で、天気もパッとしないのでスライドする人も疎らだ。だから駆け下りていて、不意に現れるとびっくりする。大きな荷物を背負った若いソロの人と2人、男女のペア一組、駒から中までピストンの方一人とスライド。追いかけて来る人はいない。
相変わらず景色は見えないが、時折ガスが切れて紅葉が始まった尾根が姿を見せる。視界が良ければ目にも入らない様な、何でも無い景色が頭の中に残る。

アップダウンを繰り返し、木の根を登り百名山に向かう。辿り着いた山頂には先客がくつろいでいらっしゃる。紛れ込んで補給をする。食事では無く補給。「トレランですか?」と声を掛けられるが、適当に濁して山談議に聞き耳を立てる。さすがに有名なお山なので、天気が悪くてもそこそこ登って来る。ベンチを占用して悪い気がして来たので、暇乞いをして発つ。



残るは激坂下り。グシガハナまでの天国尾根を軽快に走る。補給して脚が動く様になった。
尻でづり落ちる様にしてジメジメした木の根の間を降り。滑って転ばない様に注意して走る。
大きな荷を背負った若者二人が登って来る。「三山縦走ですか?」と声を掛ける。「そうです。何とか今日中に中ノ岳まで行きたいのですが、この道は険しいですね~」と嘆いている。三山の右回りの難所はここグシガハナまでの急登だろう。真っ直ぐ標高を稼ぐので効率は良いが、その分勾配はきつく成る。オイラはワンデイ三山駆けをしていると説明したら驚かれたが、荷を最小限にして早立ちすれば意外と何でも無い気がするが、忙しない登山なのでお勧めはしない。
この後、6人組の若者集団ともスライドしたが、この時間でまだここでは明るいうちに中ノ岳まで行けるか心配をしてみる。初日に中ノ岳まで行けないと行程が厳しく成る。女性も居るグループなので無理は出来ないだろう。秋は日が短く成る。やはり早立ちが基本だろうな。越後の山の厳しさよ。


滑り易い足元に注意しても、脚が言う事を聞いてくれずに、お手付き尻もちで高度を下げる。先日は番長ペースで降りたが、今日はちょっと頑張って走れそうな所は駆け下って、時間短縮で十二平に辿り着く。振り返るとすっかりとガスは取れて、八海山~中ノ岳の険峻な縦走路の姿が見える。ギザギザである。さて、後は川沿いの道を辿るだけ。数年前までは、上流の堰堤の工事用の道路で、十二平近くまで車が入ったが、落石や水流の浸食の影響で道路は通行不可能に成って仕舞ったので、車は森林公園の駐車場まで。オイラは堰堤の工事が始まる以前の渓谷の道も知っている。人の勝手で道が出来たり死んだりしているのを見て来た。


この2週間で残雪トンネルは融雪が進み、トンネルも随分と危なく成って来た。
トンネルを潜って、スタート地点まで時間短縮の為にトコトコ走る。
今日は全部出し切った感で満足して振り出しに戻る。


帰り仕度をしてチャリに跨り、ぴゅ~と下って行く。秋の空と雲が広がっていた。

結局、前回のタイムを約2時間縮めた。登りの時間は大差ないが、やはり下りの時間で短縮できた。スピードが全てでは無いが、バランスを考えると下りの速さがものを言う。

今回の行動時間 11時間03分







2015年9月8日火曜日

雨天けっこう 越後三山縦走

秋の長雨の季節で予定が狂う。
予定は一週伸びた。

地元の山を、さんざん連れ回した番長に最後の課題を提示。この辺りの山道で、難関の行程
日帰り越後三山反時計回り。
天気予報だと午後から天気は崩れる予報だが、大きな現場を請け負って社畜と化した番長は、この日のほかにチャンスは無かろう。難関さえ越えてしまえば雨でも平気と高を括り、雨具持参を言い渡してヘッデン装備の早朝早出で決行。

大倉の森の駐車場に車を停めて、三山をぐるりと回りここへ返って来る。番長は12時間で何とか返って来たいと・・・。
ヘッデンの灯りを頼りに歩きだす。八海山大倉登山口 坂本神社より山道に入る。カランと賽銭箱に100円玉を投げ込み道中の安全を祈願する。意外と信心深い。番長はちゃっかりと無料の祈願をする。無料でお願いを聞いて呉れるほど世の中甘くない。どうなっても知らないよと思ったが口に出さない。
運動不足 寝不足で足取りは重い。ジグザグの登山道を登って行くうちに明るく成る。もう灯りはいらない。
ここが 風穴 だよ。この潰れた小屋が 地蔵小屋 だよ。この池が 雨池 だよ。とガイド気分でひけらかす。

廃れた道から大通りに出る。今や八海山登山のメインルート ロープウエイよりの道を行く。チョッと走っていい気に成るが、坂道に成ればすぐに歩く。てんでだらしない。

天気はまだしばらく持ちそう

番長 初八ッ峰

女人堂で一息入れる。ほんの一登りで千本檜小屋着。休みもせずに先を急ぐ。地元民のくせに、今回八海山の八ッ峰初通過の相棒だが空拝みで御利益が有るかね~。
へっぴり腰で鎖場を登り下りしている姿が面白い。笑っちゃ悪いが腹の中でウヒヒと・・・。

ここは勇気を出して行くしかない 

八海山最高地点の入道岳より難路の縦走路を眺める。入り込んだら行くしか無い道。逃げ場は無い道。
足元の悪い道を地形を楽しみながら最低鞍部のオカメノゾキまで降りて行く。両岸切れ落ちて気の抜けない個所も多々有る。慣れ親しんだ道を初めて来た相棒は慎重に進む。

安全は何事にも優先する

中ノ岳泊の三山縦走の若者とスライドする。この日スライドしたのは彼一人だった。

御月山を越えればオアシス祓川。
気温も上がらず、ガンガン登ってもそれ程汗をかかなかったので、水袋の中身はそれ程減っていないので補給の必要は無い。独りならここで長休みをするのだが、おにぎりを腹に入れて早々に発ち、最後の足場の悪い道を登って行く。
中ノ岳の小屋脇を通って山頂を踏む。小屋の中には誰か居る気配がしたが、山頂には誰も居ない。

番長は上着だけ合羽を着て行く

天気は予報の通りに崩れつつある。駒が岳への道に踏み込んだら、雲が湧き始め雨がぽつぽつ当たり出す。
九月の声を聞いたら山は秋である。なるべくなら濡れたくは無い。合羽を着るタイミングを計る。
後ろから猛烈な勢いで下って来る方が・・・。先程小屋の中に居た人だろう。
オイラは上下着る。相棒は上着だけ。どうせ汗で濡れるのだろうが、出来るだけ体温を奪われたくないので全装着する。個人の判断だが、オイラは直接濡れないようにと判断した。経験を積むと臆病に成る。

膝の関係で下りが苦手な番長を時々立ち止まり待っているうちに後方より勢い良く下って来たお二人に追い付かれる。お先にどうぞと道を譲る。お話を聞くと 裏三山を回っているとの事。

偏屈なオイラは、この 裏三山 と言う表現に疑問を感じる。山に裏も表も無い。オイラ達は 三山縦走 してますと言うと、あ~表ですか~と。だから裏も表も無いって。今、流行りのセリフだと だったら対案を出せ! と言われそうだが・・・。
越後三山縦走は古来修験道の方も 三山駆け と呼び修行の一つのカテゴリーに成っていた訳だから通称 三山 で宜しいが、長い間廃道状態の道を有志の方が整備して下さり、周回路は再び脚光を浴びたのはつい最近の事。誰が言い出したのか 裏三山。北ノ又周回で良いだろうに。

閑話休題
前を歩く人を追いかける習性が有るので、視界に入っているうちはガシガシと追いかける。脚にきた~と泣き言を言いつつも、後ろから 早く行け とばかりせついて来る番長に追い立てられて駒が岳山頂へ。
一足早く着いて居た先の人達と暫し語らう。さすがこの時間だと誰も居ない。立ち止まっていると身体が冷えて行く。上下着ていても冷える。これからの時期は、乾いてる着替えは必要。

雲の中 割り切って仕舞えば雨もまた良し

時計が気になるので、早々と山頂を後にする。グシガハナからの急降下ルート。ペースを番長に作って貰うべく先頭交代で降って行く。木の根を縫う急斜面。雨のお陰で滑り易い足元でスピードが出ない。時折雲間から姿を見せる八海山の姿で進捗具合を測る。番長が 今○メートルだよ と報告してくれるが、聞きたくない。気休めに放送中のバレーボールの話題などで気を紛らしながら、急な道を降りて行く。

突然圏外のはずの奥山の登山道で携帯が鳴る。何事?と思い急いで出ると、コウちゃんから飲み会の出席の催促。まだ歩いているから今日は駄目だよと返事をする。しかしこんな所で通話できたとは奇跡だ。

沢の音が大きく成って来たがなかなか着かない。覚悟を決めれば 雨の山もまた良し なんて強がってみるが、嫌になる。
脚が棒に成った頃 十二平 に到着。この時点で目標の12時間。後7km程歩かないと繋がらない。

まだ大量に残っている 左側のトンネルを行く

平地に下りて元気を取り戻してグングン歩く。毎年の事だが溶け切らずに残っている残雪に目を見張る。ぽっかり開いたトンネルを通過して振り返る。こりゃ溶け切らずにまた雪の下になるのだろうね~。

雲が立ち込めて薄暗く成って来たので少し走って時間を稼ぐ。そのまま荒山集落方面に行っても遠回りになるので、左岸側の廃れたサイクリングロードを歩く。大倉橋は架け替え工事で渡れなかったので良い判断だった。

歩き切った達成感。もう直ぐゴールと言う所で、再び電話が鳴る。

だから~今日は駄目だって~(笑)。



 

2015年8月16日日曜日

登り降り 清水峠

お盆休みを3日頂いた。初日と2日目の早朝は共同作業が有る。田んぼの害虫の駆除の消毒は雨天決行という訳には行かないので、初日の予定は見事に流れた。読書と音楽鑑賞で日を過ごした。
2日目は延期に成った害虫駆除と祭礼の準備を一度にヤッツケタ。慰労会と称して朝っぱらから酒を飲み、昼寝で晴天を潰してしまった。

残された今日の日を有効に使わねばと、そそくさと山の準備。さてどこに行こうか?。

ふと思い付く。何故か今シーズンは清水峠に縁がある。馬蹄形や 他の周回登山で都合3回眺めてる。それなら、清水峠を越えるだけの山行も良いと思い付く。
以前やった事有るルートだが記憶は忘却の彼方。思い付いたら行動しましょ。

清水から謙信尾根を登り峠を越えて土合へ。バスで行って電車で帰って来る。独りでも大丈夫だ。

清水行の始発のバスは6時50分なので、買い出しして朝飯食っての時間をみて家を出る。爽やかな朝の空気の中チャリを漕ぐ。このバスに乗ったのは2人だけ。通い慣れた道を高みの見物でバスの中。約30分弱で到着運賃470円也。よいしょこらとのんびりとスタート。

軽くジョグって、堰堤築堤現場へ向かう工事用の道路と化してる国道291号線を奥へ奥へと進んで行く。約40分走ると突然、大源太山が姿を見せる。工事道路に引っ張られて、渡渉点に降りる道を見失った。尾根は見えているので近くに河床に降りる道がある筈とキョロキョロする。勘は経験から導き出される。案の定すんなりと見付かる。
朝露を掻き分けて、以前来た時とスッカリと様子が変わった謙信尾根への渡渉点で先行者が途方に暮れている。尾根の取り付き点が見つからないらしい。目を凝らすと目印のテープらしきものが見えるので偵察に行く。途方に暮れる間もなく発見出来たのでOKサインを出して一足先に登りだす。



どこの尾根も大概登り出しは急登なのである。ひと汗かき始める頃勾配も落ちついて登りやすい道となる。木々の間から標高のわりには見事な岩峰がチラチラと姿を見せる。あそこの膝元の丸ノ沢を滑ったのだと独り胸を張る。
送電線の巡視路も兼ねてるのだろう、よく踏まれ手入れも行き届いた道をゆく。
対岸の山肌に大工事の痕跡が見える。この豪雪地帯の山肌に道を切ろうとした。完成して一冬で打ち捨てられた。


陽は陰り、上州の空は雲が優勢。結構強い風が吹いている。風が集まる場所。
見慣れた三角屋根の影で休息する。汗でずぶ濡れの身体からどんどん熱が取られて行き、寒い。ふと見ると馬蹄アタッカーがぐんぐんと笹の中の道を登って行く。本能で追い掛けそうに成るが、こちとら帰りの電車の時間が決められた身。大人しく昔の旅の人に成り峠を下るのだ。
若い旅の衆が先行して峠道を降りて行く。沢の仕度だから宝川方面の沢を登り、こちら迄足を伸ばしたのだろうと判断。間を置いて同じ道を行く。

当時の土木工事の痕跡を感じながら緩やかな道を歩く。先の若い衆が落としたと思われる物を拾ってしまったので追い掛ける。走りやすい道だ。当時は荷車を引いて登れるように切った道だろうから、緩やかに斜面にへばり付きながら等高線に逆らわずにグネグネと続いて行く。落としたよ〜と手渡して恐縮される。いいからいいからと良い人みたいにかしこまる。それではサラバと速い人振って颯爽と去る。
トコトコとペースが出来た。沢付近は道が荒れる、尾根になると昔ながらの広い道。同じ様に繰り返す。1時間ほど走って蓬峠への分岐点そして白樺小屋。もう少し下って新道と旧道の分岐点。どちらを行くか迷うが、ここは旧道に拘らねば。距離は長いけど・・・。


トコトコと走れる所は楽しい。足場が悪いが沢は心が和む。旅人は水を見ると安心する。背負った水袋はそれ程減ってはいないけど・・・。古の旅人はどんなに心強かっただろう。

走ったり徐行させられたりを繰り返す。GPSを出して現在地を確認する。まだ沢山歩かないといけない。帰りの電車に急かされて冷や汗が出る。のんびりなんかしちゃいられないので休まずにトコトコ。こんなに急かされるとは思っていなかった。


芝倉沢を過ぎると人の気配がする。道も広くなり、林道の風情。幽ノ沢を過ぎれば、散策の人が居る。もうすぐだがまだ長い。間に合いそうだがのんびり歩いていると危ない。めぼしい景色だけ写真に撮って、目に焼き付けて。


一ノ倉沢 マチガ沢と見上げて舗装道路を急ぐ。地形を辿り、思いの外長く歩いてくた~とする。
駅に向かってトボトボ歩く。頑張ったので電車に乗れる。お盆なので 人食い山 に散った若い命の慰霊碑に手を合わす。


娑婆に帰り着き駅前の河原で汗をぬぐい、臭くないシャツに着替えて駅舎前で遅い昼飯を取る。
下り線は沢山階段を降りた地下に有る。大きな荷物を担いだ岳人と物珍しさで来た人々と一緒に階段を降りて行く。ホームは寒い。大きな音と共に電車が来た。

距離 約25km 行動時間 約6時間