お盆休みを3日頂いた。初日と2日目の早朝は共同作業が有る。田んぼの害虫の駆除の消毒は雨天決行という訳には行かないので、初日の予定は見事に流れた。読書と音楽鑑賞で日を過ごした。
2日目は延期に成った害虫駆除と祭礼の準備を一度にヤッツケタ。慰労会と称して朝っぱらから酒を飲み、昼寝で晴天を潰してしまった。
残された今日の日を有効に使わねばと、そそくさと山の準備。さてどこに行こうか?。
ふと思い付く。何故か今シーズンは清水峠に縁がある。馬蹄形や 他の周回登山で都合3回眺めてる。それなら、清水峠を越えるだけの山行も良いと思い付く。
以前やった事有るルートだが記憶は忘却の彼方。思い付いたら行動しましょ。
清水から謙信尾根を登り峠を越えて土合へ。バスで行って電車で帰って来る。独りでも大丈夫だ。
清水行の始発のバスは6時50分なので、買い出しして朝飯食っての時間をみて家を出る。爽やかな朝の空気の中チャリを漕ぐ。このバスに乗ったのは2人だけ。通い慣れた道を高みの見物でバスの中。約30分弱で到着運賃470円也。よいしょこらとのんびりとスタート。
軽くジョグって、堰堤築堤現場へ向かう工事用の道路と化してる国道291号線を奥へ奥へと進んで行く。約40分走ると突然、大源太山が姿を見せる。工事道路に引っ張られて、渡渉点に降りる道を見失った。尾根は見えているので近くに河床に降りる道がある筈とキョロキョロする。勘は経験から導き出される。案の定すんなりと見付かる。
朝露を掻き分けて、以前来た時とスッカリと様子が変わった謙信尾根への渡渉点で先行者が途方に暮れている。尾根の取り付き点が見つからないらしい。目を凝らすと目印のテープらしきものが見えるので偵察に行く。途方に暮れる間もなく発見出来たのでOKサインを出して一足先に登りだす。
どこの尾根も大概登り出しは急登なのである。ひと汗かき始める頃勾配も落ちついて登りやすい道となる。木々の間から標高のわりには見事な岩峰がチラチラと姿を見せる。あそこの膝元の丸ノ沢を滑ったのだと独り胸を張る。
送電線の巡視路も兼ねてるのだろう、よく踏まれ手入れも行き届いた道をゆく。
対岸の山肌に大工事の痕跡が見える。この豪雪地帯の山肌に道を切ろうとした。完成して一冬で打ち捨てられた。
陽は陰り、上州の空は雲が優勢。結構強い風が吹いている。風が集まる場所。
見慣れた三角屋根の影で休息する。汗でずぶ濡れの身体からどんどん熱が取られて行き、寒い。ふと見ると馬蹄アタッカーがぐんぐんと笹の中の道を登って行く。本能で追い掛けそうに成るが、こちとら帰りの電車の時間が決められた身。大人しく昔の旅の人に成り峠を下るのだ。
若い旅の衆が先行して峠道を降りて行く。沢の仕度だから宝川方面の沢を登り、こちら迄足を伸ばしたのだろうと判断。間を置いて同じ道を行く。
当時の土木工事の痕跡を感じながら緩やかな道を歩く。先の若い衆が落としたと思われる物を拾ってしまったので追い掛ける。走りやすい道だ。当時は荷車を引いて登れるように切った道だろうから、緩やかに斜面にへばり付きながら等高線に逆らわずにグネグネと続いて行く。落としたよ〜と手渡して恐縮される。いいからいいからと良い人みたいにかしこまる。それではサラバと速い人振って颯爽と去る。
トコトコとペースが出来た。沢付近は道が荒れる、尾根になると昔ながらの広い道。同じ様に繰り返す。1時間ほど走って蓬峠への分岐点そして白樺小屋。もう少し下って新道と旧道の分岐点。どちらを行くか迷うが、ここは旧道に拘らねば。距離は長いけど・・・。
トコトコと走れる所は楽しい。足場が悪いが沢は心が和む。旅人は水を見ると安心する。背負った水袋はそれ程減ってはいないけど・・・。古の旅人はどんなに心強かっただろう。
走ったり徐行させられたりを繰り返す。GPSを出して現在地を確認する。まだ沢山歩かないといけない。帰りの電車に急かされて冷や汗が出る。のんびりなんかしちゃいられないので休まずにトコトコ。こんなに急かされるとは思っていなかった。
芝倉沢を過ぎると人の気配がする。道も広くなり、林道の風情。幽ノ沢を過ぎれば、散策の人が居る。もうすぐだがまだ長い。間に合いそうだがのんびり歩いていると危ない。めぼしい景色だけ写真に撮って、目に焼き付けて。
一ノ倉沢 マチガ沢と見上げて舗装道路を急ぐ。地形を辿り、思いの外長く歩いてくた~とする。
駅に向かってトボトボ歩く。頑張ったので電車に乗れる。お盆なので 人食い山 に散った若い命の慰霊碑に手を合わす。
娑婆に帰り着き駅前の河原で汗をぬぐい、臭くないシャツに着替えて駅舎前で遅い昼飯を取る。
下り線は沢山階段を降りた地下に有る。大きな荷物を担いだ岳人と物珍しさで来た人々と一緒に階段を降りて行く。ホームは寒い。大きな音と共に電車が来た。
距離 約25km 行動時間 約6時間
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